今日は旦那ちゃんが熱心に三男の宿題を見ていた。
「あー、これはドラミちゃんが喜ぶようになぞってみてね」
おやおや、一体何を見ているのかな〜?と思っていたらこれだった。
筆圧の学習。
つまりは鉛筆をしっかり握り、ちゃんと書けるようにするための練習だった。
たしかに。
鉛筆が使えなかったら、国語や、算数はできない。
むしろ、そこからお勉強するんだなぁという驚きと共に、これは極めて重要な視点だなと思ったので、今日はそれを書いてみよう。
国語や、算数という教科に当てはまらない。鉛筆の持ち方というお勉強
今、教科横断的な学習という言葉が先生たちの間でささやかれている。
つまり教科の枠などぶっ壊せ!ということ。
ある時は国語になり、ある時は算数になる。
つまりは全部、総合の時間という考え方とも言える。
たしかに国語や、算数という枠だけで考えるとものすごく窮屈に感じるが、算数だって漢字や、文章は出てくる。これは国語力は必要じゃないのか?と言われるとNoだろう。
必ず読み書きできないと算数はまともに解けない。
数や、計算の力だけでなく、読み書きや、読解力がないと算数はそもそも解けないのだ。
そうした時、鉛筆の持ち方はなんだ?
当てはめるとしたら『生活』といえるだろう。
では、鉛筆を持つのは授業ではやらないのか?
いや、ほとんどの教科でやるだろう。
本のささやかだが、こうしたことが教科横断的な学びにつながるのだと思う。
鉛筆の持ち方は伝えるけど、ノートの使い方は伝えない
そうした時、ふと感じたのだが、鉛筆の持ち方は教えるが、ノートの使い方は教えないのか?という疑問を感じた。
特に教わったことはない。
しかし、ノートのまとめ方は極めて重要だ。
あとから見返すと美しさすら感じるまとめ方をしているツワモノがいる。
これはノートのページデザイン能力と言ってもいい。
しかし、これは学校ではほとんど教えてくれない。
鉛筆の使い方は教えるが、蛍光ペンの使い方などは教えてくれない。
いきすぎかもしれないが、箸の使い方なんかも教えなければいけない。
ふむ。
そう考えると多岐に渡りすぎて、隅々まで教えようとすると学校は何も手につかなくなってしまうのかもしれない。
文具の使い方は本来、家庭学習の領域なのかもしれないなと感じている。
ノートの使い方は伝えないけど、タブレットの使い方はもっと伝えない
そう思うと、さらに出てくる。
そう、GIGAスクールで出てきたタブレットや、パソコンの使い方だ。
これは最近では一人一台端末と呼ばれ、誰もが扱う可能性がある。
そうした時に覚えなければいけないことがたくさんある。
キーボードや、マウスの使い方、インターネットの便利さや、逆に怖さや、セキュリティに至るまで。
この辺りは誰かが教えなければ知らないままだろう。
そうした時、さきほど僕は文具は家庭学習で良いと言った。
タブレットは…どうなのだろうか?
情報端末は今や、高級な文具だ。
この認識を持って、タブレットの使い方でさえも家庭で覚えさせるほうが良いと感じる。
皆さんはそういう認識を持ったことがあるか?
ちょっとモヤモヤと考えるところが多い、今日の気付きであった。