どうも、ソルティーです。
今回はついに不登校であった長男の卒業式が行われました。
ここまで来るのには、本当に長い時間がかかりました…。
長男はコロナ禍になってから学校に行く意味がわからなくなり、11月くらいからまったく学校に行くことができない…。
つまり不登校っていう状態になっていました。
今回のようなケースは非常に多くの人が体験していることじゃないかって思います。
「私の子どもも不登校になった」
「学校に行かない!学力も遅れてる!どうしよう!」
って悩んでいる親御さんも増えていると言います。
でも、僕自身は長男が不登校になった上で、卒業式に行けたのは嬉しかったなと感じることが多かったです。
コロナ禍から始まった新しい不登校について
たまにこの話をすると「どうして不登校になったのに良いことですねって思うんですか?」という風に言われることがあります。
それは長男が自分で考えるキッカケになったからです。
これは逆に不登校になったということがなければこんなことにはならなかったなって思っています。
そもそも今回の不登校は何なのか?
コロナ禍以降の不登校は今までとちょっと違っています。
今までのものだと、いじめられたとか、学力を比べて自分に自信をなくしたとか、そういうことが多かったんですね。
ところが長男の体験した不登校は新型だと僕は思っています。
この新型不登校はコロナっていうことがあって学校に行く意味が分からなくなってしまったんじゃないかと感じています。
長男自身もコロナで長期休暇…つまり、長い休みがあって空白の時間ができる前までは毎日学校に行けていました。
長男自身が「なんか学校に行けなくなっちゃったんだよね」と言っていたのもかなり印象的でした。
これは今まで行なっていたルーティンから外れることになり、「これってどうして毎日学校に行かなくちゃいけないんだろう」って考えるようになったのかなと。
ここが自分自身の問いへの始まりだなって思っています。
分からないが増えると自分との対話が始まる
そうして問いを突き詰めて「分からない、分からない」となって、だんだん行動が不安定になっていきました。
最初は「学校に行きたくない。お昼から登校する。給食だけ食べて帰る」って言うようになり、
次は「お昼で帰る」って言うようになり、
その次はもう「行ったら帰る」になりました。
ここまで来ると段々、親も気づいてきて、「普通に行かせるんではダメなんだな」という風に思うようになっていました。
冷静に状況を見てみると「あぁ、長男はいじめられてるわけでもないし、学力が低いわけでもない、考えてないわけでもない。むしろよく考えている。うまく行動まで繋げられないだけなんだ」っていう風に僕からは見えたんです。
ただ、長男は不登校があったことによって、毎日自分と向き合うようになりました。
時にはパソコンを取り上げられ、好きなゲームもできない…。
そんな日々を過ごすようになって、彼自身が毎日毎日、自分と向き合うという生活を送るようになりました。
僕はそのこと自体がすごいことだなって思うし、嬉しいし、なかなかやらせようと思ってもしてくれないことだなって思いました。
普通の子どもはそこまで考えず、学校に行く毎日に戻っています。
強制的に親が「行きなさい、とにかく学校行きなさい」って、そういう風にしていると思います。
僕自身も中学の時、親からはそう言われていました。
だから一旦、いつものルーティンから途切れて「学校おかしいな」っていう風になっても、自分を押し殺しながら行けたんだと思います。
ぶっ壊れるギリギリまで家族とも子どもとも話す
でも、妻は「学校行きなさい」っていう派でした。
僕ちょっと違っていて「これはチャンスだよ」っていう派でした。
なぜなら、自分と向き合って自分で考えさせる。これ普通に学校に行くよりも大きな大きな経験なんじゃないかと考えていたからです。
夫婦でよく話しました。下手をすると家族崩壊の危機まで行っちゃうんじゃないか?ということもあったんですが、でも、それは長男を思っての行動であり、いろんな意見を聞いて、そう考えてるんだねって理解することはとても大事だなって思ったのです。
どうしてそういう風に言うのか分かったよって理解することを夫婦でやり、子供ともやりました。
結果として一番わかってきたことが、長男はどうやら僕とお話するとよりも、お母さんとお話をしてお母さんに認めてもらいたいんじゃないか?って考えるようになったのです。
そこで、今まで長男と話したりするのをやめ、担任の先生との対応も途中から妻に一任することにしました。
すると、なんとちょっと行動したり、家で家事手伝いをしたり、学校もたまに行くようになったんですね。
もちろん、妻もいろいろ考えて、あの手この手で行動させたかもしれません。
それでも、今まではほとんど向き合いもせずという日々を過ごしていたので、これは思ってもみない進歩でした。
新型不登校の卒業式
最終的にどうなったか?というと、結局、卒業式は出て、集合写真まで撮っていました。
行くのかなーって思っていましたが、ちょっと遅れて登校。
でも、卒業式では体育館の中入ることができず、体育館入り口から中を見て、みんなの様子を伺っていました。
親は座ってくださいって言われて、席にいましたが(笑)
ここまで来ると、「行こう」と思い、実行に移せたことが「凄いな」という風に思ったし、ある意味ちょっとわがままかもしれないけど自分の意思を持ち、考え、行動できるようになったと感じています。
そして体育館から、その他は保健室。卒業するみんなとは会話しない。
そんな状態でも、卒業式に出ようと思ったり、集合写真にはちょっと入ったり、担任の先生に最後たった一言「ありがとうございました」って言うためだけに12時半まで保健室に残ったり…。
まぁ、いろんなことがありましたが…。
今まで「これやろう」っていう風に思っていても他人を気にしてできないことが多かったんですが、長男は長男なりに今、達成したい卒業式を自分なりに作って行けたんだなって思うと、僕は本当に良かったなと思います。
みんなとちょっと違うかもしれないし、校長室で卒業証書をもらう何て、なかなか他の子は体験できないと思うんですけど…。
その他の子どもがやったことがないっていう体験そのものが、彼の中の特別であり、もしかしたら強みとして活かされることも来るかもしれないなと思ったりしました。
今度、中学生になる長男。
そっちも結局、行くかどうか分かりませんけど、今後も静かに、時には一緒に考え・悩み、引き出していく。
すべての行動を自分の考えを持って行動するって、とっても難しいことなんですけど、できるようになるまで信じて、そばにいたいなって決意できた卒業式でした。